「都会は環境が整いすぎていて、やりたいことが全部できてしまう。だからこそ、あえて何もない場所に行って自分を試したかったんです」

 「地域みらい留学」という制度を活用し、地元を離れて高知県の地方高校への進学を選んだ川北愛恩さん。現在、大分県の立命館アジア太平洋大学(APU)に通いながら、自らゲストハウスを運営しています。

 川北さんは高校進学する前は千葉県で生まれ育ったものの、高校で「地域みらい留学」の制度を活用し、高知県の高知県立嶺北高等学校に進学しました。彼女が高校進学の際に地方での進学を選択したのは、「何もない場所で自分を試す」という興味からだったといいます。

 しかし地域みらい留学で待っていたのは、イメージと違う生活だったといいます。

 「私が意欲満々で行ったので、同じ人たちばっかりだと思っていたんですが、入学したら全然そんなことなかった」

 都市部の中学生が地方の高校に進学できる制度「地域みらい留学」や、そこで得られる学びについて川北さんにお聞きしました。

「国内留学」ってそもそも何?

 川北さんが「地域みらい留学」という選択肢に出会ったのは、中学2年生の夏。それまで川北さんは、海外留学を漠然と考えていました。「地元・千葉県の高校に行って、普通の高校生活を送る人間じゃない」という強い思いがあったといいます。

 「自分への自信がそのときはすごいあったので。他の人と違うし、普通の高校生に私はなりたくないと思っていた」と語る川北さん。本人は今思うと恥ずかしいとのことですが、「普通じゃない」と思ったのもそのはず。

 SDGsの活動を中学時代から熱心に行い、JR東日本とコラボして商品開発をするなど、同世代の中学生とは異なる経験を積んでいたのだと言います。しかし、「それって千葉なので、東京に出ちゃえば何でもできる」環境に恵まれていたからこそ実現できたことでもあるという自覚があったといいます。

 その活動的な経歴の一方で「海外で何したいのって聞かれても答えられない」という違和感も感じていました。

 「環境にばかり頼って、自分を形作っている感じがあって」と自省する川北さん。偶然知ることになった「何にもない地域、キラキラした都会の感じは何にもない田舎」である高知県へ地域みらい留学することに憧れを強く惹かれたといいます。

 「何もない場所に行って、自分がその環境や周囲の助けが一切ないところで、どれだけ輝けるか。どれだけ自分の道を切り開けるかを試したかった」と川北さんは語ります。

友人からの驚きと反対...募る不安も

 川北さんが中学2年の夏に地域みらい留学という決断をしたとき、周囲の反応はおおむね否定的だったといいます。「まずびっくりされた」と振り返る川北さん。

 「あまりSDGsの問題発信など、私の活動とかに理解がない学校だった」ため、「なぜそんなんするの?普通じゃないよ、といった反論が多かった」と当時を語ります。

 川北さん自身にも、地域みらい留学を選ぶ過程で、自分の決断に対する迷いもあった。

 「他の人と違うことするのが、やはり怖い時期があって」と告白します。

 SDGsの活動でも挫折を経験し「決めたときの自分とは矛盾しているんですが、他の人と違うことをなんでしなきゃいけないのとか、なんで自分だけ頑張らなきゃいけないの」という思いに苦しんだこともありました。

 しかし最終的には自分の直感を信じ、高知県への進学を決心。制度としても地域みらい留学が始まって、3年目のタイミングで情報が少ないなかでの大胆な決断でした。

地域みらい留学は参加者が増加傾向にある

実は内気だった小学校時代—殻を破った中学校生活

 こんな挑戦的な進路選択をした川北さんですが、小学生まではとても内気で自分を外に出すことが苦手でした。

 「明るい性格ではある一方、学校に行くと周りの目を気にしていた」と川北さんは当時を振り返ります。5歳上と10歳上の姉が2人いる家庭で育ち、「ずっとお姉ちゃんの後ろに隠れてるみたいな感じだった」と語る川北さん。習い事もせず、塾にも行かず、自分の好きなことに没頭することが得意な子どもでした。特にミュージカル映画や百人一首など、興味を持ったものにどっぷりと浸かる「没頭力」が自分の強みだったと話します。

 そんな川北さんですが、中学1年生の春に大きな転機が訪れます。進学によって、仲の良かった友人と離れ離れになったのです。「仲の良かった数少ない友達とも、全員が私と違うクラス」と、まるで「嫌がらせ」のような状況に。

 しかしそれを機に「誰も自分を知らない新しい環境だからこそ、本来の明るい自分を出していける」と考えました。不安を抱えながらも勇気を出してクラスメイトに積極的に話しかけるようになり、自分らしさを徐々に表現できるようになったのです。

 その後の中学生活では、合唱コンクールで実行委員や指揮者として活躍し、3年連続でクラスを優勝に導くという成功を収めました。「私のクラスに入ったら優勝できる」という評判も生まれ、クラスメイトたちの協力を得ながら、大きな成功体験を積み重ねていきました。

活動する川北さんの様子

地域みらい留学の具体的な生活と学び

 高知での高校生活は「山あり谷あり」だったと川北さんは振り返ります。良かった点としては、「親元離れて高校生活3年間送ること自体が、自分のキャリアになる」と実感できたことでした。また、地域の人々との交流を通じて、地域活性化に対する独自の視点も育みました。

 「大げさに言うと、今の高知県の過疎地域に大量にビルを建てて、無理やり超活性化させるような手法は、今住んでる住人が望んでることじゃない」という気づきを得た川北さん。

 「新しいものを作って形を変えて地域を活性化させるっていうよりは、今あるそのままの魅力をもっと美しく」伝えることの重要性に気づきました。

 その思いから取り組んだのが、地域独自の魅力を発信する雑誌『私と世界』の制作です。

 「地域の人が、一番の魅力だ」と考えた川北さんは、地域の人々の暮らしや声をそのまま伝えることを目的とし、自身が一人で企画・制作を担当しました。さらに「ウェブサイトに雑誌の作り方のテンプレートを貼り付けて、全国の賛同者が住む地域の魅力を掲載できる仕組み」を考案し、活動を広げる工夫もしたといいます。

 一方で、困難な面もありました。「1年生のときに私が意欲満々で行ったのですが、入学したら全然そんなことなくて」と期待外れの現実に直面します。

 「ここで何か活動をしたいから来ましたって人が少なかった。体感としては全体の2割くらい」と驚いた川北さん。多くの同級生は「勉強がいらず、面接だけでいいから」「親元を離れたいから」「自然に惹かれたから」といった動機で入学していました。

 また、寮生活でも理想と現実のギャップを感じることがありました。「1年生のときに、寮生同士の対話が足りないと思い、語り場を週1で開催する活動」を立ち上げたりしたものの、先輩の寮生の抵抗があり思うように活動できない歯がゆい思いもあったとのことです。

寮での活動の様子

将来の展望は「人と人を繋ぐこと」

 そんな川北さんは現在、APUのサステイナビリティ観光学部で学びながら、ゲストハウスを運営しています。大学進学も「大学自体も、入らなくていいと思ってた」という川北さん。

 「両親も大学は行かなくてもいいというスタンスで、たまたまAPUの学部が新しくできたから進学した」と語ります。他の大学は一切受験せず、APUのみを志望していました。

 志望理由書と面接による選考に向けて、「サステイナビリティ観光学部なので、学ぶ内容が割合狭く、専門性はすごく意識しました。その学部に入ってからやりたいことの明確化と、それに向けた下準備を今やっているという実績」を積み上げていったといいます。

 現在運営しているゲストハウスについても「人と人を繋ぐことが目的」と語る川北さん。「ネットが発達して、オフラインでわざわざ人と話すのが不自然な時代になってきている」中で、「何にも用事ないのに人に会いに行く」という、地方では当たり前だけど都会では失われつつある文化を大切にしています。

 将来の夢を聞かれると「人と人や、経験を繋ぎ合わせてあげられる人になりたい」と答える川北さん。地域みらい留学での経験が、彼女の人生観を形作っていることが伝わってきます。

卒寮するときの川北さん様子

地域みらい留学に向いているのはどんな学生か

 川北さんは「地域みらい留学に行って本当によかった」と振り返ります。

 「地元の高校に進学して挫折をしていたら、高校生活が辛かった思い出になってしまう。でもこの留学は自分が勇気を出した選択での挫折なので、どんな経験もポジティブに捉えられる」と振り返ります。高知県で過ごした3年間は、彼女の将来の展望や人との繋がりに対する価値観にも大きな影響を与えました。

 地域みらい留学を検討している中学生に向けては、「私と同じように、何かやりたいことを持つ人はめちゃめちゃ楽しめる」とアドバイスします。

 単に親元を離れるだけでなく、明確な目的を持ち、積極的に行動する人にとって、地域みらい留学は自らの可能性を広げ、地域と深く関わる貴重な経験となるでしょう。