「僕にとっては東大より筑波大学の方が魅力的なんです。」
灘高校卒業後、筑波大学に進学した武中さんはこう語ります。

 灘高校といえば、誰もが知る超進学校です。通う学生のほとんどが、当然のように最難関大学を目指し、実際に合格していく。そんなイメージを抱く方も多いのではないでしょうか?

 実際に灘高校の卒業生の67%は東京大学・京都大学に合格します。(2024年合格実績より)
さらに、東大理科三類の定員100人のうち12人が灘出身者と、全国で1番多い高校です。

 しかし、今回のモデルの武中さんは、周囲とは異なる選択をとります。
その理由は、意外にも「サッカー」でした。

なぜ東大でなく筑波大学なのか?
周囲と違う選択に迷いはなかったのか?

今回はその理由に迫ります。

中学受験で灘へ ―親の敷いたレールで灘中へ

 灘高校から筑波大学医学部へ進学し、蹴球部でサッカーに打ち込む武中さん。「文武不岐」というモットーと合わせて、ブンフキ武中の名前でyoutube活動をしています。

 京都の公立小学校で過ごしていた武中さんは、中学受験で灘中学に入学します。
中学受験をした理由として、教育熱心な両親の存在が大きかったといいます。

「勉強は親に言われたからやっていた、という感じでした。自分の意思で『絶対に灘に行きたい!』と思っていたわけではなかったです」

「灘に入学後も、特に自我がなく、適当な生活を送っていました」

と武中さん本人も語ります。

人生を変えたコロナ禍 ― 「自分で選ぶ」覚悟の芽生え

 武中さんの転機は中学3年生、コロナ禍による休校と自粛期間でした。時間ができたことで、自然と「このままでいいのか?」と自分を見つめ直すようになったといいます。

「中学受験のときは、親の敷いたレールに乗っただけだった。そこで、何かを自分の意志で成し遂げたいと思ったんです」

 このようにして、本気で向き合おうと思ったのが、たまたま身近にあった「サッカー」でした。そこで、「プロサッカー選手になる」という目標を掲げ、サッカー中心の学生生活を送ることを決心します。

サッカーへの本気 ― プロを目指した高校時代

 中学3年からサッカーに真剣に取り組み始めた武中さん。ついに、高校1年の冬には実力を評価され、神戸市の選抜選手に抜擢されます。
このように、順調にサッカーでの成長をしているように見えますが、武中さん本人はそうは思っていませんでした。

レベルの壁と現実 ― プロの厳しさを知る

 市の選抜チームに選ばれるまでに成長した武中さんは。実際に、滝川第二や神戸弘陵といった強豪校の選手たちとも、互角に戦える手応えを感じていました。
しかし、県の選抜チームとの試合で、その自信が打ち砕かれます。

「市と県では、レベルがまったく違ったんです」と振り返ります。

 さらに、現実的な壁にも直面します。県の選抜チームからプロになれるのは、多くても1人。市選抜だった武中さんにとって、プロへの道のりは、途方もなく険しかったのです。


医学部進学の理由① ― 怪我と向き合う医師へ

 このようにして、高校2年生から、プロサッカー選手以外の進路を模索し始めた武中さん。最終的には、医学部に進学することを決心します。

 この決断の大きなきっかけになったのは、高校1年のときの怪我でした。

「試合の2日前に足首を捻ってしまい、整形外科に行きました。そこまで大事な試合ではなかったのですが、『明日はすごく大事な試合なんです』と嘘をついてしまったんです。すると先生は、『それならテーピングとアイシングをして出ても大丈夫だよ』と言ってくれて、実際に試合に出場しました。」

チームには貢献できたものの、その代償は大きかったです。その怪我の再発で、大学1年のシーズンを丸々棒に振ることになってしまいました。


「選手って、試合に出たい気持ちが強すぎて、本当の状態を言わないことが多いんです。僕自身も『大丈夫』と嘘をつきました。でも、その気持ちを察することのできる医師はなかなかいないのではないか。」

 この経験から、単なる“選手の診断をする医者”ではなく、競技者の本音を理解し、支えられるスポーツドクターになりたいと考えるようになったのです。


医学部進学の理由② ― 優秀すぎる同級生

 医学部を目指したのはポジティブな動機だけではありませんでした。武中さんは、灘高校という圧倒的な才能が集まる環境で、“自分の限界”を知ることになります。

「他の学部に進んだところで、自分が一流になれるとは思えなかった。灘には物理オリンピック金メダルなど、本当に“天才”と呼ばれるような人がゴロゴロいて、絶対に勝てないと感じた。」と語ります。

 一方で、医学は探究心があれば、努力で成功できる分野でもあります。「天才じゃなくても、真面目に突き詰めれば成果が出せる」と感じた武中さんにとって、医学部は“勝負できる場所”だったのです。

進路の葛藤と決断 ― 「筑波なら、どちらも諦めなくていい」

 医学部を目指すことを決心した武中さんにとって、筑波大学は迷いのない選択肢だったといいます。理由はスポーツ医学への強さとサッカー部の競技レベルの二つでした。

1.スポーツドクターへの強み

 筑波大学の医学部は、スポーツ医学の分野で日本有数の実績を誇ります。特に整形外科は、スポーツ選手の診療やリハビリにおいて全国でも屈指の症例数と研究実績を誇り、Jリーグや日本代表の選手との関わりも深いです。スポーツと医療の学際的な連携が日常的に行われている環境は、武中さんにとって魅力的でした。

2. サッカーへの強さ

 筑波大学蹴球部は、大学サッカー界で“日本一”と評されることもある強豪です。現に、練習の相手にはJリーグのトップクラブも名を連ねています。
これは、「トップレベルでプレーをする」という武中さんの目的に合致していました。
実際に、筑波大学蹴球部からは、毎年5人ほどがプロ入りしています。

 加えて、選手主体で運営されている点や、全体として前向きな雰囲気が決め手となりました。
「誰も腐っていないんです。一番下の6軍から1軍に上がる選手もいるんですよ」
と武中さんは熱く語ります。

受験時代の苦悩 ― 周囲と異なる選択の弊害

 筑波進学を決意したものの、実際の受験は簡単ではありませんでした。

「筑波の情報って本当に少ないんです。模試もないし、推薦制度も知られてない。学校の進度と試験内容もズレが大きくて、正直大変でした。」

 そこで、自力で情報を集め、予備校を探したり、赤本を片っ端から集めたりといった対策を行いました。面接対策も、学校の先生に直接お願いして個別に対応してもらったといいます。

「周囲が東大を目指す中、筑波を受けると言ったときには驚かれました。でも、自分の中では一本筋が通っていたので、迷いはなかったです」と語ります。

未来の展望 ― ワールドカップに帯同するスポーツドクター

「2050年の日本でのW杯に、スポーツドクターとして帯同すること」

 これは、武中さんが公にしている夢です。日本が2002年のW杯を招致した際に中心となったのが、灘高校出身の元文部科学副大臣・鈴木寛氏。彼の姿に強い憧れを抱き、「今度W杯が来るなら、自分は現場にいたい」と思うようになったといいます。
そのために、「精力善用自他共栄」を信念として掲げ、誠実な医師になることを目指しています。

高校生へのメッセージ ― 覚悟を持って選べ、自分の未来を

 最後に、高校生へのメッセージを尋ねると、こんな言葉が返ってきました。

「受験って、本当に人生を左右する大事なイベントだと思います。本気で受験に取り組むために、自分が“なぜ”その大学に行きたいのか、“何を”したいのかまで考えてほしい」

「覚悟を持てるくらいの目的が見つかったら、どんな壁も乗り越えられる。そのためにも、今しかできないこと――学校行事や部活も、全力でやってほしいです」

 エリートの王道を歩みながらも、自分だけの“道”を選び抜いた武中さん。彼のように、周りからの見られ方ではなく、自分の信念にしたがって進路を選んでみてはいかがでしょうか?