「プロ」と聞くと、「何かの分野で専門性を持ち、その道で生きていくと決めた人」をイメージする方が多いのではないでしょうか。道を極めるために、日々鍛錬に励む求道者__高潔で洗練された人物像が浮かびます。

もちろん、ひとつを極めんとすれば、他が手薄になるのも無理はありません。だからこそ、「プロの格闘家」「現役大学生」の二つの側面をもつことが、どれほど難しいかは伝わるのでは。日々のトレーニング、減量、試合。限られた時間の中で、どれだけ強くなれるかが問われる世界に身を置きつつ、一方では静謐なキャンパスで静かに学びを深めていく。「動」と「静」……相反する性質を日々磨き続けています。

一方では肉体をいじめ抜き、他方では敢えて「学び」に時間を割く。その選択には、どのような意味があるのでしょうか。

今回取材したのは、MMA(総合格闘技)のプロファイターでありながら、上智大学文学部哲学科に通う米泉乾太さん(20)。

なぜ彼は、“戦うこと”だけでなく、“学ぶこと”も選んだのか。その背景を、これまでの歩みとともに紐解いていきます。


プロフィール


母との別れ

――格闘技を始める前はどんなお子さんでしたか?

米泉さん:

意外かもしれませんが、小さいころはどちらかというとおとなしい子でしたね。小学校のころはサッカーをやっていましたが、ケンカとかやんちゃとは無縁で。外遊びもしますけど、家でレゴやジェンガをひとりでやるのも好きで、どっちでも楽しめるタイプでした。

格闘技に興味を持ったのは、小学5年生のときにテレビでボクシングを見たのがきっかけです。「なんか面白そう」ってただそれだけで、そのままジムに見学に行って、流れで入会したんです。

ただ、その背景には家庭環境の変化もあって……。小学4年生のときに母を亡くしてから、家族の方針が父中心になり、「危ないことはしないで」から「やりたいことはやればいい」に変わったんです。だからボクシングも、自然と認めてもらえたんだと思います。

あの変化がなかったら格闘技を始めていたかどうか、正直分からないですね。間違いなく人生の大きな分岐点でした。

ボクシングから「全部あり」のMMAへ

――昔はボクシングをされていたということですが、なぜ総合格闘技に転向されたのですか?

米泉さん:
ボクシングも楽しかったのですが、中学生になるとジムに同年代の子がほとんどいなくて、周りが大人ばかりで。それが結構きつくて、一度1か月くらい離れました。

その期間にRIZINを見て、MMAに出会ったんです。ボクシングはパンチだけですが、MMAは蹴りも投げも寝技もあって、「全部できるなら、こっちの方が面白いな」と思いました。
もともと、自分はいろいろなことをやるのが好きで、ひとつに絞るよりも、いろんな要素を混ぜて戦える方が合っているなと感じたんです。すぐにMMAのジムに移る手続きをしました。

結局、MMAのジムにも同年代の人がおらず、大人に囲まれて練習することになったのですが(笑)。

――米泉さんは高校からカナダの現地校に進学されていますが、その決断の背景には何があったのでしょうか。

米泉さん:
もともとは日本の高校に進学するつもりでしたが、父から「海外に行ってみたら?」と勧められたのがきっかけです。それで、せっかく海外に行くなら、自分のやりたいことにつながる地域がいいなと思いました。

ちょうどそのころ、総合格闘家の堀口恭司選手がアメリカを拠点に戦っていらっしゃって、それを知ってからは「自分も北米でMMAをやりたい」と気持ちが昂っていくのを感じました。UFC(Ultimate Fighting Championship. 世界最高峰の総合格闘技団体)のような舞台を目指すなら、英語も必要だし、現地でやる意味があるのも確かでした。

当時はコロナの影響で渡米も困難を極め、一度は挫けかけたのですが、未だに気持ちは「それでも北米でやりたい」と燃え上がっていて、中学のときに見学したことのあるバンクーバーのジムに加入しました。

もちろん英語は全く話せないまま。言葉の壁は厚く、アジア人選手もいないジムだったので、文化的にも完全なよそ者で本当に大変でした。最初から丁寧に教えてもらえるわけもなく、とにかく自分から毎日行って、練習して、食らいついていくしかなかった。

そうして続けていくうちに、少しずつ周りの態度が変わっていきました。頑張ってきた自分が認められ、教えてくれるようになった。受け入れられたと実感した時は、震えるほど嬉しかったです。

カナダでの3年間、試合中に肘が抜けて救急車で運ばれたこともありましたし、ヘルニアや骨折も経験しました。それでも続けられたのは、ジムの人たちが居場所を与え、支え続けてくれたから。やがて、「その人たちに恩返ししたい」という気持ちが強くなり、プロになろうと決意しました。

「格闘技は自己表現」

――米泉さんは現在プロの格闘家として活躍されていますが、なぜ上智大学で哲学を学ぼうと思ったのでしょうか?

米泉さん:

そもそも、上智大学を選んだ理由の1つは、練習と勉強を両立できる環境だったからです。家から近く、移動の負担が少ない点はかなり重要でした。

そして、哲学を始めたのは「格闘技はただ勝つためのものではなくて、自己表現だ」と感じるようになったためです。

カナダでの修行中に強く感じたのは、「同じMMAでも人によってスタイルが全然違う」ということでした。判定で勝てばいいと考える人もいれば、絶対に仕留めるべきだと譲らない人もいる。育ってきた環境や価値観によって、戦い方が変わるんです。

かくいう私は、ボクシングもレスリングも全部混ぜながら、「自分が見せたいもの」を試合の中で表現したい。勝つことはもちろん大事ですが、それだけではなく、「どう勝つか」「どう“魅せる”か」に価値があると信じています。

ただ、これを考える中で「自分はなぜ格闘技を美しいと思うのか」と疑問を抱くようになりました。自分にとっては美しいものでも、他の人からは「暴力的だ」「怖い」と捉えられることもある。同じものを見ているのに、なぜここまで評価が分かれるのか。何に対して人は美しさを感じるのか__これを解決するために、大学で哲学を学びたいと考えるようになったんです。


――実際に大学で学んでみて、どんなところに面白さを感じていますか。

米泉さん:
上智はキリスト教系の大学なので、一年次の必修授業に「キリスト教人間学」があります。「人とは何か」「どう生きるべきか」……そういうテーマをみんなでディスカッションできる授業です。

上記のような必修授業の存在もあり、最初は「上智=キリスト教」のイメージばかりが先行していました。ですが、実際にはいろんな宗教やバックグラウンドを持った人たちがいて、考え方も全然違う。この環境で議論をすると、「同じテーマでもこんなに見方が違うのか」と気づかされる場面が多く、とても面白いです。

格闘技でも、考え方によってスタイルが変わるように、学びの場でも、前提が違えば結論が変わる。その違いに触れられるのが、大学で学ぶ面白さだと思います。

「没頭すると、コミュニティはむしろ広がる」

――プロの格闘家として活動しながら大学生活を送る中で、時間的な制約から交友関係や学生生活が制限されてしまうことはありませんか。


米泉さん:
自分も最初は、時間の制約がある中でうまくやっていけるのかと不安に感じたこともありました。でも、実際にやってみると逆でした。

カナダのジムでも、最初は完全によそ者だったのに、続けていくうちに少しずつ認めてもらえて、気づいたら居場所ができていた。大学でも、格闘技つながりで話しかけてもらえることがあり、そこから交友が始まることもある。

一つのことに打ち込めば、そこから人と関係性が始まっていくんです。だから、最初からうまくいかなくても、とりあえずやってみる。とにかく何かに没頭してみる。そうすることで、自分のコミュニティーはむしろ広がっていくはずですよ。


まとめ

「一つに打ち込むと、他の選択肢が狭まるのではないか」そんな不安を抱く人も多いはず。


しかし、米泉さんの経験は、それが必ずしも正しくないことを示しています。何かに本気で向き合うことが、むしろ人との出会いや新しい視点の可能性を広げていく。

大切なのは、最初から整えられた環境を探すのではなく、自分なりに踏み出してみることなのかもしれません。